純粋な夏休み(自分に)

これまでの仕事を辞め、次の仕事が決まった。
何の予定もないキレイな休みが2週間できて、ちょっと戸惑っている。
ひま 、というものに縁がない生活が長かったから、どう自分を扱うべきかちょっとわかんないでいる。
差し迫った試験も、恋人も、なんの約束もない2週間。
うまく言えないけど、なにもない日ってしあわせだと思う。ぼうっとしていたい。

最近気づいたんだけど、わたしのなかには相反する2つの性質がある。


社交的な面と内向的な面。
そのふたつはどちらがよいかという話ではなく、ただ2つあるというだけのことなんだけど、自覚していないと結構めんどうなことになる。
社交的なわたしは無意味なくらい活動的。人から見ればでまるで回遊魚のように、何だかんだと動きまわる。マグロカツオの類で、止まったら死ぬのかと思われている。
ちゃんとした服を考えて、清潔にして、ハキハキと話す。時間を一分も無駄にしないで、自分のためのプランを考える。
家族の食事を考えて、家事をして、仕事の勉強をする。
一日でも休みがあれば遠くまで何かを見にゆき、友人と会い、たくさん食事をする。
SNSには程よい投稿をし、知り合いとの交流を欠かさない。
表情豊かで、おもしろいわたし。
長女でしっかりしていて、皆のことを考えられるわたし。

しかしその一方でわたしは、くじらのような自分を自覚している。口の中に入るプランクトンをなんとなく摂りながら、何事にも自分を奪われることなく、ただただ居るだけの、そんな動物。
息を吸ったり吐いたり、音楽映像そのた流れる情報をひたすら体内に巡らすだけで、なんにもしない。
おしゃれもしない、身繕いもできればしたくない。きちんとした発音なんてしない。身体を揺らして、口をあけて、遠くをぼうっとみる。
ほかの誰かを世話したくないし、誰にも入ってきてほしくない。
助けたくもない助けられたくもない。話したくないどうでもいい指の先もまぶたもただ好きなようにうごかしていたい。

わたしは当初この2つの性質を、躁鬱からくるものと考えていた。
高校の頃、アッパーとダウナーの大きい波を自覚しはじめ、おそろしかった。道端の犬の糞もうつくしく思える日もあれば、青い空と白い雲が気持ち悪い日もあった。その日の気分で周りに優しくできない自分に傷ついた。
だからそれをコントロールするために、走ったり酒を飲んだり、たくさん食べたりした。つまらない人間と付き合った。
それでも、いわゆる思春期の気分ムラだという説も捨てきれず、診断を受けることはなかった。

いまはこれらが、自分のアスペルガー傾向からくるものだと考えている。

社会人になって、ストレスから鬱になり精神科にかかった。 そのときついでに、軽度のアスペルガーとADDであることを診断された。
すこしだけショックだったけど、それは 救いになった。
自分の傾向を知ることで、対策を立てられるようになり、わたしは自分の限界を意識できるようになった。
わたしはあんまり自分を責めなくなった。

わたしは通常、起きている時間の8割を 「回遊魚」のように生きている。止まれないくらいアクティブなわたしとして。そして残り2割に「くじら」が居座る。
いままでは、残り2割のぼうっとした自分が嫌でたまらなかった。はずかしくて悔しかった。全部「回遊魚」になれば、人生が充実すると信じて疑わず、自己啓発の本を読みまくった。じんましんが全身にでるくらい自分を追い詰めた。

けれども、そうじゃなかった。
たしかに世界には正真正銘の「回遊魚」みたいな人間がいるけど、わたしはそうじゃない。
鼻が高い人と低い人が居るのと同じく、そういうひととそうじゃないひとがいる。わたしはそうじゃなかった。
そしてそれを、ありがたいと思っている。
わたしはそうじゃなかったからこそ、客観的にものを捉えるようになったし、そうじゃない人の立場から考えることができる。

わたしが健やかに生きるために必要なものは、6時間の睡眠とおいしい食事、そして「くじら」のように過ごす時間。別にどれが欠けてもしばらくは生きていける。けどそれが続くと支障がでてくる。そのことをただの事実として自覚しているから、わたしはこれから新しいところで頑張っていけると思う。

なんだか支離滅裂な文になってしまったけど、とりあえずそんなようなことを考えながらこの「純粋な夏休み」を過ごすつもりです。以上。


コメント

人気の投稿